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12月28日630起床。ホテルは前回の2004年と同じデイインホテル。800に鶏肉のおかゆで朝食をとり、市街地へ。噴水広場(ナンプ)やレストラン(コープチャイドウ)など4年で小綺麗になった。中心街は明らかに発展している。
2004年12月のレストラン(下)と現在のレストラン(上)、駐車場スペースが野外ガーデンに拡張されている。
市街地に外国人向けのコンビニのようなクオリティーマーケットができた。店内には高級輸入食材や日本食の雑貨が並べられている。
ラオス航空で航空券の予約確認後に書店などめぐり、空港で昼食。6ドル食べ放題の空港ビュフェは、大人気でたくさんのラオス人で賑わっていた。首都ビエンチャンの発展ぶりを目の当たりにして1340にラオス航空QV401便にてシェンクワンに移動。窓際の席から空撮を行う。
山岳地帯やナグダムダムを見ながら、飛行機は高度をさげシェンクワン盆地に降りていく。茶色の草原に見えたものは、一面に散らばるクレーター。これが1964年から75年におよぶアメリカ軍の空爆の跡である。
空港でラオス人ガイドのクアントンさん、運転手のジョイさんと合流。ホテルを確保した後で夕方のジャール平原に向かう。ここは、紀元前後から作られた石壺が見られる遺跡群で、墓と考えられている遺構が200以上もある。現在は、世界遺産に向けた登録の手続きがなされている。
石壺の大きなものは6トンもあるというから、これらを作った古代社会は、相当な余剰生産があったのだろう。地形や石壺の大きさなどからいくつかのグループに分けられそうで、階層差があるのかも知れない。
見学コースの途中には、直径20mあまりのクレーターが各所で見られる。ベトナム戦争当時、この地域がホーチミンルートに当たるため、ラオス軍と米軍により激しい空爆が繰り返された。シェンクワンに落とされた爆弾は7,500トンに及ぶとされ、今でも不発弾により命を落とす人が絶えない。この地域の不発弾処理には今世紀一杯かかるという。
1745遺跡から安宿に戻る。街の東はずれにあるダオクワンホテルは、ホットシャワー付き1泊6ドル(720円)。市場にも近く立地はよいが、ホットシャワーは満足に出ないので、夜はかなり寒い。ラオス料理のレストランで夕食を済ませ、ラオスの焼酎330cc1瓶は、5000kip(60円)で購入してホテルに戻り就寝。