2007.11-12 ベトナム ハノイとその郊外 29日・30日・1日・2日・3日・4日 12月1日師走の初日をハノイで迎える。630起床、朝食は牛肉のフォーと焼きそば。日本語ガイドのチャン・トアン・ズンさんとホテルのロビーで合流。0755にホテル発、土曜朝ラッシュのハノイ市街を移動。隣のホアビンまでは約70kmで1時間半ほどの行程。なるほど、1000にはホアビン市街のはずれにあるホアビン省博物館に到着。 この博物館は日本語のガイドブックにも載っていない小さな地方博物館だが、この地域から見つかった約1.2万年前のホアビン文化の石器や歴史時代の銅鼓、ベトナムの先住民であるムアン族の民族資料が展示されている。 銅鼓といば、ベトナムの先史文化を代表するドンソン文化の銅鼓(紀元前4世紀〜紀元後1世紀)が有名だが、この地域では5世紀から16世紀までの銅鼓が展示されており、銅鼓の型式変化がおえる。ムアン族をはじめとする先住民族の青銅技術の高さには驚かされる。 10〜12世紀の銅鼓は大型化している。カンボジアのクメール王朝などに代表されるように、この地域もこの時代に豊かな農耕社会が成熟したのだろう。「叩きながらも、見る銅鼓」といったところか(許可を得て撮影) 博物館のスタッフからの情報によれば、ホアビンから30kmほどの山間の村に銅鼓が伝世しているらしいとの噂(もう、ないかも知れない)があり、訪ねることにした。ムアン族のクアン村は石灰岩地帯山岳の谷間を水田にした、まるで桃源郷のような場所だ。村にはいると大きな井戸があり、少女が洗濯をしていた。どうやら、この村には電気は来ているが水道はないらしい。銅鼓を所有していたウェン・ヒンさんが家に案内してくれることになり、車をおいて水田地帯の小道を進む。 銅鼓はすでに失われてしまったらしいが、当時の話をきくことになりウェンさんの家を訪ねた。子供の傍らの老女は、ウェン・ビンさん(66歳)、20歳でこの村から嫁に来て、ベトナム戦争で長男を亡くすなど苦労した。彼女からは村の話の聴き取りを行った。急遽、私たちのお昼を作ってくださることになり、遠慮なくお願いした。 高床の住居内では、炉に火が入れられご飯を炊いたり、地鶏をつぶしたりの調理が始まった。水道やトイレのない家で食事をするのは初めての経験だ。 待つこと1時間、高床の住居内での昼飯。自家製の焼酎も喉ごしがよい。食後のお茶も自家製で美味でした。写真は左から運転手、ヒンさん(29才)、ダイさん(40才)と私。 食事が終わる頃、御主人のウェン・ビィバン・ファンさん(71才)も畑からもどり、お茶を飲みながらの話となった。この村の銅鼓は、起源はわからないが村に伝わっていた。ファンさんの父親がベトナム戦争の戦時中に近くの洞窟に隠した。ファンさんは、戦後になって洞窟に隠されていた銅鼓を発見し、村に持ち帰った。この頃、各地の村では銅鼓が失われていたので村祭りの祭具として貸し出していた(引っ張りだこだった)。1983年に銅鼓の一部が壊れたので村外の商人に安価で売ってしまった。今考えると惜しいことをした。との話であった。残念ながらファンさんのお父さんがどのように銅鼓所有していたかは不明であった。長居をしてしまったので1530頃には、三人分の食事代として200,000ドン(1430円)の御礼をして村から出発した。 途中、旅行会社で延長料金10ドルを支払い、夕刻の1830にはハノイのホテルに到着した。今宵も下町の大衆飲み屋で生ビール2杯と肉料理で30,000ドン(214円)、ハノイの夜は、相変わらず賑やかだ。 カラー