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2005.8・9 ラオス南部の集落調査
8月31日・9月1日・2日・3日・4日
9月2日、0610に起床。宿泊したホテルの朝食は目玉焼きとフランスパンにラオカフェのアメリカンBF。市場で買い物をしてから0830に出発。チャーター車でセーコーン川を渡るはずが、待てど暮らせどオンボロフェリーは動かず(写真下)。結局0915にサイさんの食堂に戻って原付バイクを2台チャーターする。セーコーン川の渡し場の料金は、1人1000kip(12円)バイク1台3000kip(36円)。
雨季の南部地域は、こんなに天気がよいものかと感じるほどのお天気。バイクの後ろは、適度な風とスリルで気持ちよい。45分ほど未舗装道路を走るとラベー族の村近くのムアン・クアンに到着、田舎食堂の亭主であるカムライさんに村へのガイドとラオス語とラベー語の通訳を依頼する。
ラベー(ブラウ)族のボンビライ・ヌア村では、結婚式があり村の人が集まっていた。プオンさん宅にお邪魔すると、運良く耳飾りの女性に会うことができた。左からシャツさん(65歳?)アップさん(65歳?)プオンさん(57歳)の耳飾りは、プラスチック製である、本来の象牙の耳飾りはアップさん以外は売ってしまったという。アップさんも象牙の耳飾りは仕舞ってあり、正装するときもプラスチック製を常用しているという。
アップさんらは、ラオス中で売られているポストカードにのるモデルとなった有名人(?)、しばし耳飾りについての聴き取り調査を行うが、結婚式を控えているため早々に切り上げ、こちらも昼食後に結婚式に押しかけることにする。1230にカムライさんの食堂に戻り、青パパイヤのサラダやタケノコと豚肉煮込みなどの料理で昼食を取る。午後は、隣村の結婚式に出向くが、なかなかその家が見つからない。集落間をさまようこと約1時間あまり。村のはずれの斜面には焼畑の陸稲が見られ初めて見る焼畑の稲に感激する。
やっと結婚式のある家を見つけたら、我々が食事中に村で葬式ができてしまい、結婚式は急遽キャンセルになったらしい。隣家では結婚式の準備を行っていた男達が祝い酒のラオハイ(粒酒)を飲んでいるではないか。この酒は、常時造られるものではなく、お祝い用のお酒である。米粒が残っているため竹のストローで飲むのが特徴だ。味見をしたところほのかに甘く、日本の甘酒とどぶろくに似た飲み物でとっても美味しい。水道水のない井戸水などを使ったお酒なので、ガイドからあまり飲まないように注意されたが、くせになる美味しさである。
葬式の家に行くと村人が集まり女は歌うように泣き、男は沈痛な顔つきで高床住居に詰めていた。仕方がないので村長のプンカンさんを畑に訪ね焼畑や耳飾りの聴き取り調査を行った。ラベー族は陸稲の穂摘み具は使用せず、てで稲粒をしごいてかごに入れて収穫する。これは昔からの方式で道具は使わないとのこと。これには少し驚いた。
帰路途中の集落でも穂摘みは素手だったのでこれは本当だ。群馬の弥生遺跡から穂摘み具があまり出てこないのは、このためか??。アッタプーに戻ると1630だった、ホテルで少し休んでから町歩きを行い、サイさんの食堂でビーフン麺と野菜炒めの夕食をとって真っ暗な街をホテルへ、途中で屋台の甘味どころでラオス風あんみつのナム・ワーン3000kip(36円)を一杯食べる。2100には就寝。