「真南(まなん)、あんた料理できる?」
「どうしたのだ急に」
「できる? できない? どっち?」
あたしの問いかけに高原真南(たかはらまなん)はきょとんとした顔をした。ああっ、まどろっこしい!
「どっちなんだよ!」
「……人並みにはできるが」
つまりはできるってことだな。だったら話は早い。
「頼む。あたしに教えてくれ!」
頭を下げたあたしに、真南はやっぱりきょとんとした顔をしていた。
今日は十二月二十三日。天皇誕生日だ。そして――
「オーブンから煙が出ている」
「ぎゃーーっ!」
午前十一時。休日の家庭科室は戦場と化していた。
「鍋も焦げ臭いな」
「火っ! スイッチ止めるよ!」
おかしい。料理ってこんなに疲れるものだったか? もう少し体力を使わない、と言うよりもっと楽しいものだったと思ってたけど。
「リンゴも皮があつすぎて実がほとんどない。包丁くらいきちんと扱えぬのか」
「できないからこうして頼んでるんでしょ!」
呆れ顔の真南にエプロン姿のあたしは涙まじりでつぶやいた。
十二月二十三日。それはクリスマスの前日。正確には二十五日だけどかたいことは言いっこなしだ。クリスマスと言えばその、恋人とか友人同士が楽しそうにはしゃいでいたりする。あたしの場合、もっぱら後者で気の知れた友達と騒いでる。
でも今年はちょっとだけ違う。本当にちょっとだけだけど、あたしにとっては全く違う。それは――
「なぜ今なのじゃ?」
リンゴの皮をつまみながらつぶやく真南の言葉にメレンゲを作っていた手が止まった。
「クリスマス前だと言うのはわかるが、わざわざ休日に学校でやることはないだろう?」
「それは、その」
家だと家族に見られるのが恥ずかしいから。
とは言えなかった。悲しいことにあたしはそんな柄じゃない。家の中で料理や裁縫をしてるよりも外で男子とサッカーや野球をしている方が似合う。そんな奴だ。
そんな奴が家で料理をしていることなんかばれたらきっと笑われる。しかも作っているものがものだけに何て言われるかわかったもんじゃない。だから同じ生徒会のよしみで書記の真南に料理を教わってるというわけ。
でも悲しいかな、あたしには料理の才能はないらしい。他のこと、それこそ技術や体育なら自信あるのに。真南に付き合ってもらうこと二時間。料理は一行にできない。むしろ辺りをちらかしてるだけのような気がする。
「詳しくは訊かぬが、作るのなら確実なものを一つだけにしておいた方がよいのでは?」
同じくエプロン姿で手際よく掃除にとりかかる真南に右手に持っていた泡だて器を突きつける。ちなみに左手にはボールを抱えてる。
「なんでそんなことわかる」
「二年の佐藤へのプレゼントだろう? 今日はその予行練習というところか」
今度はボールの中身がなくなった。
「この前の後夜祭で楽しそうに踊っていたからの。
年下というのも今の時勢珍しくはないし私も応援する……どうした?」
「あんた、なんでっ……!」
床にはボールとメレンゲになるはずだったものとが散らばってる。でも今のあたしはそれどころじゃない。
確かにあたしは文化祭の最終日、後夜祭で佐藤(弟の方)と踊った。でも踊った場所は体育館じゃなくて教室。灯りも消してたしばれてないと思ってた。一体どうして、何時何所でそのこと知ったんだ!?
「よいではないか別に」
「よくないから言ってるの! なんで知ってる――」
「泣く子も黙る姉御が料理一つできないなんてね」
声に振り返るとそこには背の高い女子――もとい、生徒会長の鳴海がいた。
「誰が『泣く子も黙る』よ」
「事実じゃないか。ひったくりは捕まえるし君の一声で女の子の意見はほぼ手中におさめることができる。ある意味、我が校の治安は君にかかっていると言ってもいい。
それがエプロン姿で料理と格闘とはね。君って案外可愛い趣味持ってたんだな」
「……っ!」
「抑えるのだ皐月。今は時間がないのだろう?」
拾ったボールを投げつけようとしたところを真南に取り押さえられる。言った本人はそ知らぬ顔で髪をいじっている。その仕草がなかなか様になっていてまた悔しい。そもそもなんで休日に学校に来てるんだって言いたいけど、あたしも同じことしてるから下手に悪く言えない。
「言っておくけど無断で家庭科室を使用するのはいけないことだからね。そこのところわかってる?」
「なにそれ。脅し?」
確かにそれはわかってる。でも時間がなかったから真南に半ば無理矢理頼み込んだのだ。
女装なんかしてるけど鳴海は生徒会長だけあって公私混同はしない。あたしもそのへんはかってるんだけど、今日ばかりはそうもいかない。
でも生徒会長書記はあたしとは全く違うことを考えていた。
あたしが落ち着いたのを見ると腕を放し会長の方をじっと見つめる。
「鳴海、何が言いたい?」
その言葉に鳴海は肩をすくめてこう言った。
「ちゃんと許可をとれってこと。ボクでいいなら協力するよ。他ならぬ生徒会の恩方々に感謝の気持ちを込めてってとこかな」
「……要するに暇なのだな」
なぜか協力者が一人増え、料理はつつがなく実行された。
そんなこんなで時間は流れ、午後五時。
「不味い」
似非(エセ)女生徒の一言に頬が引きつるのを感じる。
我慢だあたし。こいつはあたしのためを思って言ってくれてるんだ。たぶん。
「砂糖はたくさん入れればいいってものじゃない。
こっちのクッキーもそう。いい具合にお互いがお互いの味を打ち消しあっている。これほど芸術的な不味さは初めてだよ」
我慢だあたし。今は怒る時間も惜しい。
「肝心の基本がなってないことにはな……って、危ないじゃないか」
「あんたが悪い!」
再びボールを投げつけたあたしに対し、鳴海は飄々(ひょうひょう)としている。
「うわべを取り繕うより本当のことを言ってあげたほうが親切だろ?」
「あんたは――」
「これ食べてみなよ」
目の前にお菓子を突きつけられ、第二段用にと用意していた泡だて器を持つ手が止まる。仕方ないから一口食べてみる。
「……おいしい」
悔しいけどおいしかった。あたしがこれまで作ったやつよか全然うまい。
「これあんたが作ったの?」
そう言うと鳴海は首を縦にふった。
「君が格闘している間にね。これでも一通りのものは作れる」
男にも(女装してるけど)負けるとは。やっぱりあたしには無理なんだろうか。
「やめるのか?」
エプロンを脱いだあたしに真南は眉をひそめる。
「やっぱあたしには料理するよか外で運動してる方が性に合うみたい。
元々あげるなんて言ってなかったんだ。ほら、前に学校で飼うことになった『さくら』の散歩のお礼のつもりだったの」
『さくら』は学校のそばで拾った子犬のこと。あたしの家じゃ飼えなかったから学校に、主に生徒会のこいつらに頼んで条件付きで許してもらった。それまでに色々とあって今は佐藤の家の陸(犬の名前)と一緒に散歩をすることがほぼ日課になっている。
佐藤ともよく顔を合わせるしせっかくだから――なんて思ったのがいけなかったのかもしれない。
「君らしくない」
悪かったな。どうせあたしはこんなこと似会わないよ!
そうかみつこうとしたら、目前に指を突きつけられた。
「だって君は、泣く子も黙る姉御だろ?」
「その呼び名やめろ」
ジト目で言うと鳴海は髪をかきあげながら言った。
「ボクは君の男らしさをかってるんだ。
時間はあるのに諦めてどうするのさ。何事も気持ちが大事って言うだろ?」
「私も鳴海に賛成だ。ここまできたのだ。今までの時間を無駄にしたくはない」
二人とも真面目な顔であたしのほうを見ている。会長の発言は頭にくるけど、こんな顔されたらやめようにもやめられなくなる。
ったく。仕方ないなぁ。
「もう一度教えてください先生方」
頭を下げると二人は顔を見合わせて苦笑する。
「まずは部屋の掃除からだな」
「カップケーキくらいなら作れるだろ? 全くこのままだと本番が思いやられるね」
前言撤回。特に生徒会長、後で絶対しばく。
家庭科室は夜遅くまで灯りがつくことになった。
午後十時。
「はいこれ」
帰り道、生徒会長と書記にできたものを手渡す。結局できたのはカップケーキだけ。形はちょっといびつだけど食べれるようになっただけ進歩したものだ。
「二人とも、今日はありがとね」
「他ならぬ姉御のためですから」
「暇つぶしにはなったからな。これでおあいこだ」
鳴海と真南にはなんだかんだ言って世話になってる。付き合いが長いからかな。あたしだって二人のことはかってるんだ。
「……あ」
ふいに空から落ちてきたものに手を広げる。手に落ちてきたもの。それは。
「雪……」
「一日遅ければホワイトクリスマスだったな」
真南が洒落たことを言う。
本当。雪が降るのが明日だったらよかったのに。でも――
「ううん、今日でよかったよ」
首を横にふると二人とも不思議そうな顔をした。
休日の学校でケーキを作ったこと。今見ている雪のこと。それはいつか思い出になってしまうんだろう。だったらこの雪を三人で見ることができてよかった。
たぶんあたしは思い出を作るのが好きなんだと思う。だから生徒会をやってこれたんじゃないかな。もしそれで思い出作りのきっかけを作ってあげられたとしたら、ちょっとだけ嬉しい。
高校生活はもうすぐ終わる。でも今日のことは忘れたくない。
高校最後の冬、三人で見た雪のことをあたしは絶対忘れない。
「そうしてると姉御も女の子に見えるよ」
ふいに鳴海がつぶやいた。
「え?」
「今の仕草。ちゃんとさまになってた。普段の君からは全く想像もつかない――」
投げつけたバッグは今度は確実に生徒会長の顔にヒットした。
翌日。お菓子をどうやって渡したかはまた別の話。