二月十四日。
それは誰かにとっては大切な日で、そうでない人にとってはそうでもない。
あたしにとってその日は、とても大切な反面、とっても嫌な一日になる。
「…………」
目の前の光景に、あたしは軽い目まいを覚える。
目の前にあるのは靴箱。どこにでもある普通の学校の靴箱。
ただし、いつもと違うことが一つだけ。それは――
「これで三回目だな」
いつ来たのか、後ろで真南(まなん)の声がする。
「靴箱に押し込まれた洋菓子。純真な乙女の心がこもった菓子。その行き先がこの中とは。『事実は小説よりも奇』とはよく言うものだな」
「あたし、あんたと同じ格好してるよね?」
真南のつぶやきは無視して静かに質問する。
「ズボンには見えないな」
真南の返事に静かにうなずく。
当たり前だ。あたしは真南と同じ女の制服を着てるんだから。ということは、これはまぎれもない現実ってこと。
それと同時に、あたしはもう一つの現実とも直面しないといけないことになる。
やりようのない怒りを肺の中に吸い込むと、目の前の靴箱にそれをぶつけた。
「なんで女のあたしの目の前にチョコレートの山がある!」
あたしの怒りの声に、答えてくれる人はいなかった。
靴箱にあったもの、十二個。
直接手渡されたもの、七個。
机の中にあったもの。
「……十個」
大きなため息と一緒にチョコレートを机の上に広げる。
放課後の生徒会室は人が少ない。だから、時間つぶしにはもってこい――
「今年も姉御はすごいね」
こいつらがいなければ。
「よかったな。はれて三冠王達成か」
「鳴海、違う。今年は三番目だ」
生徒会室がこいつらの半私物化と化してることをすっかり忘れてた。
「そう? でも女の子じゃ一番でしょ」
「それは間違いない」
生徒会室にいるのは書記の真南と会長兼副会長の鳴海。今日は珍しく男の制服を着ている。……普通はこれが常識だと思うけど。
その二人は、あたしの目の前でチョコレートについて談義している。
「あんた達は何をしにきたんだ」
ジト目でにらむと、鳴海は何を今さらといった風に笑って答えた。
「生徒会業務に決まってるだろ」
「……真南は?」
「鳴海と同じだ。本来、生徒会室とはそのような場所だ」
そう言った真南の腕の中には生徒会の冊子がおさまっている。
悔しいけど二人の言ってることの方が正論。用もないのに時間つぶしにきたあたしが悪い。
黙々と業務をする二人を横目に、もらったチョコレートを一つかじってみる。可愛いラッピングのほどこされたそれは、ほんのり甘くておいしかった。
そう言えば、この二人ってバレンタインと縁があるのかな?
チョコを食べながら、ふとそんなことを考えてしまった。鳴海はなんだかんだ言っても知名度はしっかりある。男の格好もしてるからそれなりにはもらうだろうけど、真南がチョコを渡してる様なんて想像できない――
「それで。本命には渡したの?」
思考は生徒会長の一言でみごとに閉ざされた。
「ここで時間をつぶすのはかまわないけど、それなりのものを持っていかないと相手も喜ばない――」
問答無用で茶色のかたまりを口の中に放る。鳴海は二、三度口を動かすと目をつぶってこう言った。
「……四十点。ただし五十点満点中のね」
「相変わらずまわりくどい言い方をするやつだ」
真南の言葉に大きく賛同すると、カバンの中からもらったものとは別の包みを取り出した。
「はい」
生徒会の二人に差し出したのも、まぎれもなきチョコレート。
「ボクにもくれるのかい?」
「一応ね。言っとくけど義理だから。義・理」
『義理』の部分を強調して鳴海にチョコを渡す。
あたしだって立派な女子高生だ。チョコレートの一つや二つ、選んだりはする。
ましてや今日は特別な日。昨日一日かけて、これでも一生懸命作ったんだ。
「じゃあね」
これ以上長居しててもしょうがない。広げたチョコを紙袋に入れると生徒会室を後にする。
「草薙皐月(くさなぎさつき)!」
フルネームで呼ばれて振り返ると、
「本命。ちゃんと渡せよ」
そう言った鳴海道治(なるみみちはる)は、ちゃんと男の子の顔をしていた。
クリスマスはあやふやな渡し方になった。
だから、今度こそ。
「皐月さん?」
部活帰り、あいつは不思議そうな顔をしていた。
それもそのはず。時間はもう夕方六時をまわっていたから。
「それ――」
問答無用で突きつけたのは、やっぱりチョコレート。ただし、その……
「これっ、よかったら食べて」
こういう時は先手必勝。相手が言う前に渡すに限る。
「作りすぎたの。だから」
我ながらベタな言い訳をしてしまうのが情けない。でもこの前の時よりも上達はしてるはず。
「……俺に?」
「いらなかったら捨てていいから。さくらに渡すから」
逃げ道に犬の名前を使ってしまうのが我ながら悲しいけど、こんな時くらい多めにみてほしい。そのくらい今日のあたしはいっぱいいっぱいだ。
あいつは――佐藤は、あたしとチョコレートの包みを交互に見比べていた。
よくよく考えてみれば、こいつだって他の女の子からチョコレートたくさんもらってるよね。これ以上もらっても嬉しくないかも。
あたしにチョコをくれた女の子達は、一体どんな気持ちでこれを選んだんだろう。一体どんな気持ちであたしにこれを手渡してくれたんだろう。
今さらだけど、そんなことを考える。でも一度突きだしてしまったものはもう返せない。
二人だけの微妙にきまずい沈黙が流れた後。
「……佐藤?」
「一緒に食べていいですか?」
「え?」
「いただきます。さくらと一緒に」
そう言って、佐藤は包みを自分のカバンにしまった。
「……うん」
さくらと一緒に、というところがちょっと気になるけど、あたしとこいつを繋げてくれたのがさくらなんだから仕方ない。
「ありがとうございます」
それに、ほんの少しだけど顔が赤いような気がするから。
「どういたしまして」
まあ、いっか。
二月十四日。
それはあたしに、あたし達にとって大切な日。