坂本洋子

よつば著作・メディア

だから憲法が大事!「ジェンダーと憲法 14条・24条」
労大Booklet Vol.3

(掲載を許可していただいた労働大学出版センターに感謝します。)

◆一人前に扱われなかった女性

日本国憲法では、第14条「法の下の平等」で男女差別を禁じています。歴史的に見て、男女平等が最も実現しにくい領域が家族領域であることから、さらに「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を定めた第24条の規定が設けられています。
明治憲法下には「家制度」があり、女性の地位は非常に低くいものでした。絶対的な権限を持つ戸主のもと、結婚も戸主である父親の決定に従わなければなりませんでした。女性にとって結婚とは、夫の「家」に入ることであり、その家の戸主に従うことでした。そして、妻の最大の役割は、「家」の跡継となる男児を産むことでした。子どもが産めない妻は「石女」などと蔑まれ、離婚の正当な理由にされていました。戦時中は健康な子どもを産むことが期待され、避妊や中絶は許されませんでした。夫や子どもの世話はもちろん「舅」や「姑」の介護も妻の役割とされていました。また、妻には自身の財産管理が許されず、夫が妻の財産を管理していました。領収証の発行や保証人になること、不動産の取引や訴訟なども夫の許可が必要とされ、法的には無能力者とされていました。さらに、女子には「良妻賢母」になるための教育だけで十分とされ、高等教育は不必要として一部を除いて大学の門戸は閉ざされていました。成人男性がもつ参政権も女性には与えられていませんでした。これが、一人前として扱われなかった敗戦までの女性の地位です。

◆ベアテ・シロタ・ゴードンさん

連合軍総司令部(GHQ)の民主化方針で、日本は明治憲法に変わる新しい憲法を制定することになりました。24条の基となる草案を書いたのは、当時24歳だったGHQ民生局員のベアテ・シロタ・ゴードンさん。音楽家だった父親の仕事で5歳から15歳までを日本で過ごしたベアテさんは、日本女性のおかれた悲惨な状況を目の当たりにし、この状況を変えたいとの思いから草案を書きました。しかし、家族の社会権的家族保護についてこと細かく書かれていたため、民生局が大幅に削除し、差別禁止規定としての14条、24条に修正し、GHQ草案としてまとめました。日本政府は男女平等を定めることには抵抗したものの、結果的には受け入れました。こうして24条が制定され、民法も大幅に改正されたのです。

◆「24条第2項は再検討する」

保守派が抵抗したのは9条より24条の制定だったといわれています。それは、家父長的「家制度」が崩壊すれば、天皇を頂点とする国体全体の否定につながりかねないとの考えからです。24条が制定された後も、家意識を引きずるような意見が多くありました。24条改正論議は50年代に入ると活発になってきます。53年の内閣法制局の憲法改正の問題点に関する調査資料には「旧来の家制度を廃止した第24条第2項の規定は日本の実情に適しないとの意見もあるのでこれを再検討する」と記されています。54年には自由党憲法調査会の論点として24条があげられ、その後の憲法改正論議には、必ずといっていいほど24条は改正の対象とされてきました。

◆「ジェンダー平等」が社会を変える

生物学的性差のセックスとは区別して、社会的・文化的につくられた性差を「ジェンダー」といいますが、国連で「ジェンダー」用語が使われ始めたのは90年代。特に94年のカイロ会議や95年の北京会議では「ジェンダー」がキーワードとなりました。
「男女平等」を「ジェンダー平等」に変えることで何が問題であるかが顕在化しました。男女平等を阻む最大の要因が、男女の特性論に基づく性別役割分業意識であることが浮き彫りになったのです。そして、ジェンダー平等社会の実現には性別役割分業の伝統行事や慣習を変える必要があることが指摘されはじめました。同時に、このことに反発するジェンダー・バッシングが始まったのです。
バッシングが具体的に報告され始めたのは、99年に男女共同参画社会基本法が制定されたころからで、その勢いはますます激しさを増しています。

◆24条が家族・家庭を壊す?

04年に「論点整理(案)」を公表した自民党の憲法改正プロジェクトチームで出された意見をみると、24条改正の意図がはっきりしてきます。「いまの日本国憲法を見ておりますと、あまりにも個人が優先しすぎで、公というものがないがしろになってきている。個人優先、家族を無視する、そして地域社会とか国家というものを考えないような日本人になってきたことを非常に憂えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということはたいへん情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなのだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない」(森岡正宏衆議院議員)「よい家族こそ、よい国の礎である。とくに、女性の家庭をよくしようというその気持ちが日本の国をこれまでまじめに支えてきたと思う」(熊代昭彦衆議院議員)
「個人の尊厳」や「個人主義」を「利己主義」と曲解し、24条が家族や共同体を破壊しているので改正が必要という論調です。家意識を引きずる性別役割分業に基づく実質的不平等論も容認しています。ジェンダー・バッシングと24条改正論は根が同じであることがわかります。

◆「両性の平等」を弱める意図

24条の見直しを公表して以降、改正に反対する動きが全国に広がりました。反対は野党だけでなく、自民党の女性議員からも上がっています。また、9条改正を目論む議員にとっては、9条とセットで24条の改正反対の声が広がることへの懸念から、24条改正は見送るべきとの意見も出ています。
05年10月の自民党新憲法草案では、24条については条文そのものの改正は行われませんでした。しかし、「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」から「婚姻及び家族に関する基本原則」へとタイトルを変更したことは、「個人の尊厳」や「両性の平等」を弱めたいという意図が見えます。
さらに、13条では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、・・・・・・」と権利に制限を設けました。12条では「国民の責務」というタイトルを新設し、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」として、公益及び公の秩序が常に国民の自由、権利より優先されるという考え方をとっています。24条改正には至りませんでしたが、改正したい意図はその他の条文にしっかり盛り込まれたのです。

◆バッシングには不寛容であれ

自民党が改正を断念した24条は、バッシング派によってその見直し論が現在も展開されています。今年5月、岩手の県紙である岩手日報が前田邦夫氏の論説「憲法第24条見直し 『家族』を復元させよう」を掲載しました。24条の見直しを再び改憲論議に加えるよう主張しているのです。前田氏は04年にも2月にも「過激な性差解放活動 『男女区別』は自然の理」という過激なジェンダー・バッシングの論説を書いて、良俗秩序の崩壊がすべて24条や男女共同参画社会基本法にあるという曲解した自論を展開しています。
このような事実無根のバッシングに対しては、きちんと反論し、糾すべきです。そうでなければ、個人の尊厳や両性平等の実現はますます遠のいてしまうでしょう。




Copyright (C) fem-yoko