坂本洋子

よつば著作・メディア

「憲法24条改正をめぐる問題」
『アジェンダ』2005年冬号 第11号

(掲載を許可していただいた『アジェンダ・プロジェクト』編集部に感謝します。)

自民党憲法調査会の憲法改正プロジェクトチーム(以下「憲法改正PT」)は2004年6月10日、「論点整理(案)」を公表した。憲法9条の改正は自民党の長年の悲願なので、改正すべきとされたことには驚きはなかった。ところが、24条について、「婚姻・家族における両性平等の規定は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである」と明記されたことから大きな衝撃として受け止められた。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
1  婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。


24条が制定されるまでの女性たちは?
戦前の「家制度」のもとで、女性の地位は非常に低く扱われていた。絶対的な権限を持つ戸主のもと、自分の意思で結婚することも許されず、戸主である父親の決定に従わなければならなかった。女性にとって結婚とは、「夫の家に入る」ことであり、夫の家の戸主に従うことであった。
妻の最大の役割は、「家」の跡継ぎである男の子を産むことだったが、子どもが産めない妻は「石女」などと蔑まれ、離婚されることも珍しくなかった。戦時中は健康な子どもを産むことが期待され、避妊や中絶などは許されなかった。夫や子どもの世話はもちろん、夫が長男であれば同居する弟妹の世話も、「舅」や「姑」の介護も妻の役割とされた。
また、妻が夫以外の男性と性的な関係を持つと、離婚の原因になるだけでなく、姦通罪として処罰の対象となった。一方、夫が妻以外の女性と性的関係を持つと、相手に夫がいるときのみ姦通の相手として処罰の対象とされた。妻から離婚することができたのは夫が姦淫罪で罰せられたときだけで、それ以外は問題にならなかった。
さらに、妻は自分の財産の管理をすることが許されず、夫が妻の財産を管理していた。領収証の発行や保証人になること、不動産の取引や訴訟なども夫の許可が必要とされ、法的には無能力者として扱われていた。
女子には「良妻賢母」になるための教育は必要とされたが、高等教育は不必要として一部を除いて大学の門戸は閉ざされていた。20歳以上のすべての男性がもつ参政権も女性には与えられなかった。
このように女性は一人前の人間として扱われなかったのである。

24条制定の経緯
24条の基となる草案を書いたのは、当時、連合軍総司令部(GHQ)民生局のメンバーだった22歳のベアテ・シロタ・ゴードンさんである。憲法改正論議の高まりとともに、ベアテさんを紹介する著作や映画が作られ、テレビにもよく登場しているので、今では「24条を書いたベアテさん」として知られている。
父親の仕事で5歳から15歳までを日本で過ごしたベアテさんは、日本女性のおかれた悲惨な状況を目の当たりにした。上司から「あなたは女性だから女性の権利を書いたらどうか」と言われ、飛び上がるほど嬉しかったという。(『1945年のクリスマス』より)しかし、ベアテさんの草案は、家族の社会権的家族保護についてこと細かく書かれていたため、民生局が大幅に削除し、差別禁止規定としての14条、24条に修正し、GHQ草案としてまとめられた。日本政府は男女平等を定めることには抵抗したものの、結果的には受け入れた。こうして24条が制定され、民法の親族編・相続編が大幅に改正されることとなった。

憲法制定直後から行われた24条改正論議
24条の制定は、9条の制定より抵抗があったという。それは、家父長的「家制度」が崩壊すれば、天皇を頂点とする国体全体の否定につながるのではないかという危惧からだった。24条が制定された後も、家意識を引きずるような、性別役割分業に基づく実質的不平等論を容認する意見が多かった。
24条改正論は1950年代に入ると活発になった。53年の内閣法制局の憲法改正の問題点に関する調査資料には「旧来の家制度を廃止した第24条第2項の規定は日本の実情に適しないとの意見もあるのでこれを再検討する」と記されている。54年には自由党憲法調査会の論点として24条が挙げられ、その後の憲法改正論議には、必ずと言っていいほど24条は改正の対象とされてきた。24条改正論の盛り上がりとともに、これに反対する多くの女性たちが「家族制度復活反対」を訴え、集会やデモを繰り返し、改正阻止運動を展開した。

なぜ?24条改正論が出てくるのか
自民党の憲法改正PTで出された議員の意見を見ると、24条改正の意図がはっきりしてくる。
「いまの日本国憲法を見ておりますと、あまりにも個人が優先しすぎで、公というものがないがしろになってきている。個人優先、家族を無視する、そして地域社会とか国家というものを考えないような日本人になってきたことを非常に憂えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない」(森岡正宏衆議院議員)
「憲法とは何かと言えば、やはり愛国心の1番の発露なのではないか。・・・そしてその根底にあるのは何かと言えば、家族だ。1人で人間が個人の権利だけを主張して生きられるはずがない。そういう国がもしあるとすればバラバラになる、崩れるに決まっている。人間の支えとなるもの、根底は家族に決まっているわけで、その家族観をぜひ憲法に書いて頂きたい」(西川京子衆議院議員)
「よい家族こそ、よい国の礎である。特に、女性の家庭をよくしようというその気持ちが日本の国をこれまでまじめに支えてきたと思う。家庭を大切にするということ」(熊代昭彦衆議院議員)
これらの意見の根底にあるのは、「個人の尊厳」や「個人主義」が「利己主義」と曲解され、家族や国を愛する心が欠如し、家族や共同体を破壊しているのではないか、ということだ。 

9条とセットの24条改正論議
憲法改正で注目を集めてきたのは第9条である。市民運動も9条改正反対については全国で活発に行っている。確かに改憲派の最大の狙いは「戦争放棄」と「戦力保持の禁止」を定めた9条の改正である。論点整理(案)でも9条の見直しや前文の全面書き換えを明記している。
さらに、国民の権利義務規定を設け、公共の責務(義務)として@社会連帯・共助の観点からの「公共的な責務」に関する規定を設けるべきであるA家族を扶助する義務を設けるべきである。また、国家の責務として家族を保護する規定を設けるべきであるB国の防衛及び非常事態における国民の協力義務を設けるべきである、と明記している。
@は、国民の生存権と国の社会的使命を定めた25条の見直しにも関係する。社会保障の整備を国に課しているのが25条第2項の規定である。ところが論点整理(案)では、社会保障を支える国民の義務・責務を明記すべきとしている。Aの家族扶助義務を憲法で規定しようとするのは、民法で定めている扶養義務規定とはかなり意味合いが違っているからだ。民法の規定は、性別にかかわりなく夫婦や親子、祖父母、孫といった直系の血族に対する扶養義務である。しかし、憲法改正論議を読むと、「嫁」としての女性に家族の扶助を期待していることがわかる。9条と24条がセットとされるは、Bの国防の義務を男性に課し、家族の扶助義務を女性に課すという、かつての男女不平等な性別役割分業「家族」を念頭においているからである。その家族は、社会や国家という「公共」の基礎として位置づけられている。国家の責務として家族を保護するとしているのは、家族の1人ひとりが保護されるのではなく、家族という形態を保護することに他ならない。自民党の改憲の意図はまさに「公共」の再構築にある。

憲法改正草案大綱の素案から消えた?24条改正
24条の見直しを論点整理(案)で公表して以降、24条に関する著作が次々に出版され、改正に反対する動きも活発化した。市民運動やキャンペーンが立ち上がり、集会やベアテさんの映画の上映会などが全国で開催された。24条の改正反対の声は野党だけでなく、自民党の中からもあがっていた。
自民党憲法調査会が2004年11月17日にまとめた憲法改正草案大綱の素案では、24条改正は行わず、「基本的な権利・自由及び責務」を定めた第3章で「家庭の保護」を盛り込むにとどめた。「家庭」としたのは、明治憲法下の「家」制度を連想させるのを払拭させ、様々な形態の「家庭」があることを容認する趣旨、としている。一方で、「家庭」は社会や国家という「公共」を構成する最小単位で、伝統や文化や人間的な慈しみの気持ちなどが伝承される土壌、であることを併記した。24条の条文そのものの改正には至らなかったが、改正したい意図はその他の条文に盛り込またのである。

自民党新憲法草案で24条は?
近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的にしている。日本国憲法もこの立憲主義を採り、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つを基本原理としている。とりわけこの原理を明確に宣言しているのが前文である。ところが、自民党が10月28日に公表した新憲法草案では、前文がすべて書き換えられている。
新憲法の核心とされている点は、第2章を「戦争の放棄」から「安全保障」に変更して、9条2項を削除し、「自衛軍」の保持を明記したことである。これは集団的自衛権をも容認し、基本原理を変える重大な改正である。 24条については条文そのものの改正は新憲法草案でも行われなかった。しかし、「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」から「婚姻及び家族に関する基本原則」へとタイトルを変更したことは、「個人の尊厳」や「両性の平等」を弱めたいという意図が見える。
さらに、13条では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と権利に制限を設けている。12条では「国民の責務」というタイトルを新設し、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」とし、公益及び公の秩序が常に国民の自由、権利より優先されるという考え方をとっている。この考え方は29条の「財産権」にも明記されている。
このような形で国家権力が国民の権利や自由を制限することは、立憲主義に反するだけでなく、世界に誇る「平和憲法」の基本原理を否定することになる。
とりわけ24条について言えば、たとえ条文そのものが改正されなくても、個人の尊厳や両性の平等の実現はますます遠のいていくだろう。





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